「ダンボールの机、娘が小さかったころに作ってあげました」
「それは娘さんも喜んだでしょう」
「ところがですね、3日で壊れてしまってからずっと笑い話にされるんです」
小さな展示会でたまたま見つけたダンボール製の机と椅子。苦笑いするしかない過ぎた日の出来事が鮮明に戻ってきた。
「これっていま買えますか?」
「すみません、今日は展示用しかないんですよ。宅急便で送りますよ」
「じゃあ娘の家に届けてもらおうかな。住所は…」
そう言いながら操作の慣れないスマホを取り出して娘の住所を注文用紙に書き写した。
今週が出産の予定日だと娘の香織からは聞いているが、細かいことは何も教えてくれていない。私が香織の結婚に強く反対をしてから親子の関係が上手くいっていないのだ。1年前に妻が亡くなってから連絡はとる機会は増えたのだが、ギクシャクした関係はずっと続いている。
とはいえ出産祝いに何も送らないわけにもいかないだろう。妻がいればそういうことはすべて任せていられたのだが、いなくなって存在の大きさを感じている。
ダンボール製の机と椅子を見たときに、これならあの頃の親子に戻してくれるような気がして衝動的に買ってしまった。自分で持って行かずに娘の家に送ったのはどこかでまだ会うのを避けている自分がいるからだろう。
注文してから10日目の朝。娘からメールが送られてきた。
「産まれたよ男の子!会いに来てあげてください」
最後のかしこまった口調が気になるが、初孫だけに会いたい気持ちが大きい。それでもその気持を娘に気づかれたくないというつまならい意地もある。気持ちの高ぶりを抑える文面を心がけて「再来週の水曜日に行っていいかな」と返信した。
結婚に反対してしまったことで香織の旦那である弘樹くんには会わせる顔がない。その思いから平日の訪問を選んでしまう自分が情けない。
娘の家は最寄り駅から徒歩15分。引き返したくなる気持ちと戦うには十分すぎる距離。それでもこのタイミングを逃したら次に会える機会がやってくる保証はないと自分で自分の背中を押して香織が暮らすマンションの前までたどり着いた。
どうにでもなれとチャイムを押すと「はーい、あがって」と中から声がする。手が離せない状態なのかもしれないと思い、遠慮なく上がらせてもらうことにした。リビングのソファに腰掛けている香織の腕の中には小さな命。
「ごめん、ちょっといま何も出来ないから自分でお茶いれてくれる?」そう言った香織の背中が25年前の妻の姿と重なって少し戸惑ってしまった。 1人で暮らすようになりお茶を淹れるぐらいは問題なく自分でできるのだが、人の家のキッチンは何かと勝手がわからない。お茶っ葉を探していると息子をベッドに寝かしつけた香織が棚からお茶っ葉を取り出して無言で私に手渡してくれる。
「すまなかったな」そう言って香織にお茶を差し出した。
「いいのよとは言わないけど、いつまでも悪い関係のままではいたくないから」
息子の眠る姿を見ながらお茶をすする。その横顔も妻にそっくりだ。
「この子のためにも家族はきちんとつながっていたほうがいいよね。時間はかかるかもしれないけどときどき遊びに来てくれるかな」
ありがとう以外の言葉が出てこなかった。
「もうひとつお願いがあるの」
「なんだでも言ってみろ」
雪解けを感じた途端に上から目線になる自分が情けない。
「ダンボールの机、お父さんが組み立ててくれる?」
香織が指差した先には送られてきたままのダンボールの机と椅子が置かれていた。
ものづくりは好きなのだけれども、手先が不器用なのは香織にダンボールの机を作ってあげたときからずっと変わっていない。上手に組み立てられる自信はないが、弘樹くんは忙しいのだろうし、香織はきっとそんな余裕はないのだろう。 そう思ってダンボールの机と椅子を組み立て始めた。説明書に従って丁寧に作っていく。孫のための机と椅子だと思うと娘の時のような失敗はしたくない。
組立に熱中していると「ただいま」の声が聞こえてきた。
弘樹くんが帰ってきたのだ。想定外の出来事に心臓が高鳴る音が聞こえてきそうになる。悟られまいと平静を装いながらも、組み立てる手は思うように動かない。
「お父さん、こんばんは」そう言う弘樹くんの顔は結婚当時からは想像ができないほどしっかりした顔つきをしている。
「育休で午後は休みもらえって、香織が言うんで帰ってきました。いやーびっくりした。香織のやつ何も言わないんだもん」
いや、きっと知っていたに違いない。結婚に反対したことがなかったかのように接してくれる。
彼にとってもなかったことには出来ない出来事だ。それでも、ここから関係を築いていくという強い意志が伝わってくる。この香織と弘樹くんの息子がすくすくと育つためにもダンボールの机と椅子は気持ちを込めて組み立てよう。そう思いながら私は組立作業を再開した。